後輩パントマイミストへ
病床からのメッセージ
〜1992年〜
(1946-1992)
1946年7月19日 東京生まれ
早稲田大学文学部演劇学科、文学座研究所、
日本マイム研究所入所。
1970年
舞無羅(まいむら)結成、各地で公演。
1973年
渡仏、マクシミリアン・ドュクルーに師事。
1974年
帰国、マイムトループ気球座設立。
1975年
東京マイム研究所設立。
日本にパントマイムを根づかせ、成長発展させるために、自由で真剣なソロパントマイミストの発掘とアンサンブルマイムの確立を目指し、後進の指導育成及び創作活動に意欲的に専念する。
1992年6月20日
1年半の闘病の末、永眠。
享年45歳。
並木孝雄ソロパントマイム公演
「マイムマイン」より
パントマイムは、無言で、無対象で動く、
そのことによって一つの世界を作り出そうとする。
無言であるだけならば、ダンスもそうだし、
無対象というだけならば、演劇にそういう作品がある。
パントマイムは、無言で無対象で動かなければならない。
パントマイムがもしリリックでファンタジックである
ならば、それは、無言で無対象で語られる話がリリック
でファンタジックであるのではなく、無言で無対象で動
く、そのこと自体が、リリックでファンタジックでなけ
ればならないし、パントマイムが、もし滑稽であるのな
ら、それは、話の転回、変化が滑稽なのではなく、無言
で無対象で動く、そのこと自体が滑稽でなければならな
い。そしてもし、パントマイムが見る人の感動をさそう
とすれば、それは、話の内容が感動的なものではなく、
無言で無対象で動くことによって、作り上げた空間その
ものが、人々を感動させなければならない。
パントマイムはただ一人でできる。それが大きな魅力
であると思ってきた。しかし冷静に考えてみれば、演劇
だって一人で出来るし、ダンスだってもちろんそうだ。
なぜことさら、それをパントマイムの魅力と思ったのか。
今になってみれば、一人で稽古場にこもり、客観という
目にふれず、自己の中で、じくじくとした情念を培養し、
それを放出するのに、無言という状態が適していたから
だと思う。 それならダンスという方法も良いはずだが、
それはめぐりあわせの妙というやつで、
僕はパントマイムに出会った。
並木孝雄
1978年7月19日、
「マイムマイン」公演パンフレットより(抄)
■すこし自慢したいこと
並木孝雄
ぼくのパントマイムを見てくれた人がもうすぐ5万人になります。
あの後楽園球場を満員にすることができるだけの数です。で、ぼく
は有頂天になります。もちろんゴローやヒデキではないので、2・
3回の上演でというわけにはゆきません。
実に50回、2年かかって上演しての5万人です。それでも有頂
天になり、そのあまり、「これはパントマイムにとって、エポック
メイキングなことだ。」などと口走ってしまうのです。
しかし、演劇の世界では同じ作品を50回上演したからといって、
それはすこしも珍しいことではないのです。それを思えばぼくが有
頂天になっていることは、実にパントマイムのおかれている状態の
貧しさの証しに他ならないのです。
でも、やはりうれしいのは、この50回の観客のほとんどがはじ
めてパントマイムを見る中学生や高校生であり、感動という作用が
起こりうればもちろん、記憶の中に、パントマイムというものを止
めてもらうことだけでさえ、これからのパントマイムの広がりには、
大いなる燭光であるし、ぼくにとっても貴重な経験の連続だからで
す。
はじめのころ「パントマイムはなかなかわかりづらいという定評
があり、しかも、都会的(?)であるので、初めて見る地方の中・
高校生の前でやるのは無理だろう。」と人にも言われ、自分でもそ
う思い、しかも作品が、中・高校生のために作った作品(こんなこ
とを想うのは不遜なのですが)というわけでもないし、はたしてど
う伝わるのか不安だったのですが、反応を見ているとわかりづらい
とか初めてとかいうことは、これっぽっちも問題ではなく、かえっ
てその真剣なまなざしは、絶えず、やる側を刺激し、新しい発見を
させてくれさえするのです。
そして又、いつも千人・二千人と入る広い会場で場がもたれ、一
人でそんなに広い空間を埋めることができるのだろうかという不安
も、回を重ねるごとになくなり、今では、8年もやってきて今とい
うのも変な話ですが、パントマイムが、舞台芸術のれっきとした、
ひとつのジャンルであると思えるようにもなったのです。
この50回の上演は、吉田謙吉先生の発案で、劇団「東京小劇場」
が、学校巡演の企画として「にんじん」とのジョイントで、「パン
トマイムによる25分」として与えてくださったもので、この邂逅
を、ぼくはとても感謝しています。
しかし、このようなことが他力でなされるのではなく、気球座が
自らの力でできるようになれば、そして、ぼくのような体験を持つ
者が、1人でも2人でも増えてくれば、パントマイムのこれからは、
少しづつ開けてくるのだろうと思うのです。
ぼくのパントマイムを見てくれる人がもうすぐ5万人になるので。
「これはパントマイムの世界にとってエポックメイキングなことだ。」
ということは、つい有頂天になり口をすべらせたことですが、少な
くとも、気球座にとっては、「エポックメイキング」なことになる
ように、活動の展開をはかっていきいたいと思っています。
1978年2月8日、9日
東芸劇場
マイムトループ気球座公演NO.6
『イカロスの飛翔と墜落』
■惜しみなく
演出 並木孝雄
パントマイムは不純である。ダンスともつかず演劇ともつかず、
肉体については、ダンスよりも愚鈍であり、状況においては、演
劇よりも稚拙である。かつで友人の言った言葉です。
パントマイムを選択してまだ日の浅かった私は、それに対して
何も言えず「パントマイム…パントマイムは…」と口の中で呟く
だけでした。しかしそれから数年たった今になって、やっと少し
のことがわかり、というより思いこめるようになりました。
一つに、パントマイムは、無対象物を相手に世界を展開してゆ
くという大原則があり。その見えない物を相手に、その物がまる
であるかのように動くとき、その動きはすでに日常の動きではな
く、リリシズムに裏打ちされた、鈍化された動きになり、又、そ
の動きに作り出された物が自立し、今度はその物によって自分が
動かされる結果、自己対他の関係の変化を空間的に展開させてゆ
くものであるということ。
つまりは主人公は、自分ではなく、自分の創りあげた物である
わけです。ですから、パントマイマーは、物を出現させるために、
その肉体を惜しみなく消費しなければならないということです。
イカロスについて言えば、演出する者は、卵などは本物があら
われるので、卵を食べながら飲む幻のコーヒーが、本物の卵以上
に、本物であるように、役者の動きを鈍化させなければならず、
飛べるはずのない肉体がみごとに飛べるように、肉体を惜しみな
く消費しなければならないのです。
一人で一時間の舞台を作ること。これが、イトーをはじめ、私
が教える生徒に対する課題です。それができた時、私は仲間とし
てつきあうつもりでいます。なぜ一人で一時間なのか、それはイ
トーも書いている通り、エネルギーと感性と、何にも増してマイ
ムする覚悟の程を見たいからです。
今回イトーが、その覚悟の程を見せてくれることになりました。
といって私は観客にもなれず、演出という役割を持っているので、
その覚悟を一つの劇的緊張感に昇華させるため、イトーの肉体を
惜しみなく消費させるつもりでおります。
イトーがみごと空を飛ぶことを。
1979年6月27日、28日
東芸劇場
マイムトループ気球座公演NO.8
『ブラック・ブロック・ブレイク』
■とにかく 元気に おもしろく
並木 孝雄
パントマイムの台本は、読んだだけでは、おもしろいかつまらな
いかわかりません。動いてみてはじめておもしろくないそうかどう
か見えてきます。こんどの台本は、おもしろくなりそうです。それ
がおもしろくなるのは、もちろん俳優の能力によるのですが。
その1では、これを我々は、「おひめ様物語」といっているので
すが、パントマイムを、しゃれた、都会的なもの、などとすかして
考えていては、とてもできない代物で、とにかく、わぁわぁ、ぎゃ
あぎゃあ、品のない宴会調にやらなければなりません。
その2では、これを我々は。「エクソダス」といっているのです
が、パントマイムを、沈黙の芸術である、などとかっこよく考えて
いては、とてもできない代物で、とにかく、どたどた、ばたばた、
運動会調にやらなければなりません。
その3では、これを我々は、「ホッピング物語」といっているの
ですが、パントマイムは、無対象ですべてを表わすものである、な
どとストイックに考えていては、とてもできな代物で、とにかく戦
々きょうきょう、物々しくやらなければなりません。
というように、三本ともそれぞれ随分違った作り方を要求される
ようです。が、三本とも、今までのように、パントマイムは、「言
葉をつかわない=沈黙=制限された動き」などという方程式ではな
く、「言葉をつかわない=饒舌=雑然とした動き」という方程式で
すすめないとだめなようです。
とにかく若い人達なので、エネルギーで、ぶつかってゆこうと、
そればっかりです。
■パントマイム愚考
『ザ・ランナー/ロングディスタンス』(1979年)
1979年8月9日(木)~14日(火)
シアターグリーン・サマーフェスティバル'79参加作品
マイムトループ気球座公演NO.9
『ザ・ランナー/ロングディスタンス』
■パントマイム愚考
並木孝雄
チャップリンの映画を見て、私は、セリフがあったら良いのに、
とは決して思いません。セリフをしゃべるライムライトや殺人狂
時代よりも、モダンタイムスや街の灯の方が好きですし、チャッ
プリンの映画は他の無声映画に比べると極端に字幕が少ないので
すが、それでも字幕が目ざわりになってしまいます。
私達は普段、生活の中でずいぶん言葉をしゃべらない時間を持
っています。そして、そのしゃべらない時間の中でいろいろな事
が起こっていますが、その中で私達は激しい感情に支配されてい
るよりも、しみじみした感情に浸っている方が多い様です。
又、言葉をしゃべらない時というのは一人の時が多いのですが、
二人でいてもしゃべらない時というのはあります。たとえば恋人
同士の場合、二人は恋の始めでは多いに語り合うでしょうが、恋
がつのれば、語ることをやめてみつめ合うだけになります。恋が
終わりに近づくと二人はののしり合いますが、別れの時は又、無
言になってしまいます。
チャップリンの映画は、相手が女性であったり、子供であった
り、犬であったりしますが、いずれにしても親しい二人の存在が
あり、その話は、やさしくしみじみと展開してゆきます。もとも
とパントマイム俳優であったチャップリンは、人間が無言でいる
状態、無言で創りあげられる世界を十分知っていたのだと思いま
す。ですから、彼の映画は、無言であることに無理がなく、今で
も十分鑑賞に耐えられるのだと思います。
今回のロングディスタンスは、チャップリンの手法に多いに似
ていて、二人の人間がずいぶんセンチメンタルな世界を演じます。
ザ・ランナーについては、もう一方の無声映画の雄 キートン
の作品を引き合いに出してみたいと思います。
キートンの映画の特徴は実に良く動くということと、たくさん
の人間が出るということです。それも花嫁数百人とか、警官数百
人とか牛百頭とかがひとかたまりになって道路いっぱいになって
全速力で走っているシーンが必ずでてくることです。
キートンの映画も字幕の必要性を感じさせません。動きのダイ
ナミズムで映画を見る人を魅きつけてしまいます。ザ・ランナー
は、そういったキートンの作品に似ています。
パントマイムの特色のもう一つに何もない物をある様に演じる、
ということがあります。そのことは、舞台の上の場所・時間を自
由にすることができ、なんの変哲もない日常の行為を、リリック
に硝化させることができるので、ザ・ランナーでは、キートンの
映画の機動性というものを舞台の上に持ち込みたいと思いますし、
ロングディスタンスでは、チャップリンの映画の叙情性というも
のを舞台の上にただよわせたいと思っています。
1979年11月27日、28日
東芸劇場
マイムトループ気球座公演NO.10
『サイレンス』
■雑感
並木孝雄
気球座の公演も十回目をむかえました。十回といっても舞台を作
るということが手軽に行える今、たいしたことではありませんが、
気球座にとればそれはそれで意味のあることです。
七五年、気球座の初めての公演を同じここ東芸劇場で打った時、
メンバーは、私と和田の二人でした。二人で「座」をなのるのは、
ずいぶんとはったりをかけたものですが、そこにはけなげな想いが
ありました。
初回のパンフレットには「気球座というパントマイム劇団を創り、
不十分でも活動を始めれば、少しずつでもパントマイムをやりたい
と思う人が集まり、それによって気球座の活動が少し活発になり、
だからマイムを見てくれる人が増え、それによって気球座の活動が
又少し活発になり…いつかは日本にパントマイムをやる人みる人が
あふれるということ」を大きな夢として書いています。
今、気球座のメンバーは六人になり、公演も今年にかぎっていえ
ば、年三回も打ち、パンフに書いた夢も多少なりと実現しました。
しかし、世間では昨年マルセル・マルソーが来日し、今年になっ
てカナダのビョンドワーズや、アメリカのデフシアターも来日した
りして、パントマイムへの興味も増大し、見る人も増えているのに、
気球座にとっての「見る人があふれる」というのはあいかわらず大
きな夢のままです。客席がにぎわってもそれは、知人、友人、その
また知人、友人でシアターグリーンでの舞台をのぞけば、いずれも
俳優の口こみで公演を打ってきたのが現実です。
それではいけないという当然の想いをもってこれからの舞台を作ろ
う。メンバーが増えた、回数が増えた、という量の問題を単純に喜
ばず、質の向上、よい舞台を創る、という当然の意気込みを新鮮に
かかえなおし活動してゆこうと想います。
そこで第十回公演のパンフレットには、一回目のパンフレットを
次のように書き替えておきたいと想います。
「私達の夢は、気球座という劇団が良い舞台を創れば、少しずつで
もパントマイムをやりたいと思う人がふえ、それによって気球座の
活動が活発になり、だからマイムを見てくれる人が増え、それによ
って気球座の活動が又少し活発になり…いつかは日本にパントマイ
ムをやる人見る人が溢れるということ。」
1985年10月29日
すいどうばし労音会館
第二次マイムトループ気球座旗揚げ公演
『創世記』
■稽古場から
並木孝雄
地球ができたのは40数億年前のことです。現代人の祖であるホ
モサピエンスが地球上に姿をあらわしたのは今から70,000年
程前といわれています。
生命の発生は30数億年前なので長い時間の進化の果にヒトが誕
生したわけです。ヒトは、直立し、火をみつけ、道具を使い、言葉
を生み、進歩してきました。狩猟農耕し工業を起し、発明発見し文
明を生み、技術を開発し、認識を深め、時の流れと共に進歩のスピ
ードを加速度的にあげてきました。
そしてヒトは、40年前原子爆弾を作りました。
生命が誕生してから、いろいろな種の生命が進化し繁栄し滅んで
きました。恐竜の滅亡を過剰適応(生命体の巨大化)が原因である
と考え、レミングの集団自殺の原因が数の膨張であると理解してい
るヒトは、原爆の発明と同時に己れ自身の滅亡の種子を抱え込むこ
とになりました。40年前は僅かに数粒だった種子が今や数百数千
にもなりヒトは滅亡の予感に包まれて日々を送る悲劇の時代へ突入
しました。
始めがあれば必ず終わりがあるという大法則の前にヒトもいつし
か滅びるとしても、その滅亡の原因が自ら作りあげた種子によると
いう不幸な結末を迎えるか、あるいは、これまでの永い進化の上に
手にした知性でその種子を打ち砕きより高い知性の獲得の果てに幸
せな結末を迎えるのか、それこそ、カミのみぞ知る事柄なのでしょ
う。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・創世記・・・・・・は無謀にもこの歴史を舞台化しようという試み
ですが、公演の日時は迫り、稽古はいまや佳境にはいり、動くべき
肉体は拾うし、絞りだすべきアイデアは枯渇し、その苦悩は絶頂に
達しております。
しかし、劇団員一同、いうこと聞かぬ肉体に鞭うち、ない知恵し
ぼり、果敢にもこの大テーマに肉迫すべく奮闘しております。
その終末は悲劇を選びました。願うことはこの悲劇の回避です。
この舞台でひたすら悲劇にむかっていくヒトを提出できたらよいと
思っています。
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■ごあいさつ
並木孝雄
パントマイムは、人間にとって最大の意志伝達の方法である
”言葉”を切り捨てることによって成立する演劇の一つのジャ
ンルです。”言葉”という大きな財産を捨てたことにより、パ
ントマイムは、人間の、理性よりも完成の、論理よりも感情の
友人となりました。
パントマイムはまた我々の生活を埋め尽くしている"物”を
舞台から極力排除してしまいます。その為にパントマイムの観
客は、劇場の暗闇の中で、舞台から与えられることを待ってい
るのではなく、積極的に想像力を働かせ、舞台の上で繰り広げ
られる世界を演者と共に創造しなければなりません。
パントマイムが演じられ鑑賞される場では、演じる者も観る
人達も、日頃身の内に閉じこもっている想像力や感性を、解き
放ち磨き上げ、心と心のコミュニケーションを成立させること
ができます。
本日の舞台でパントマイムの魅力を少しでも味わっていただ
ければ、これにつきる幸いはありません。最後までごゆっくり
とご覧下さい。
この作品は、1990年の作品で、青山円形劇場での、初の
マイムトループ気球座の公演でした!
並木孝雄先生は、この公演の後、2ヶ月ほどして、
ご病気がわかり、闘病生活に入りました。
ですので、この作品が、
並木先生の遺作となりました。
青山円形劇場の円の舞台を、円のまま、使い、
360度から、お客様にご覧いただく作品で、
それが青山円形劇場では、本当に、珍しい使い方だったとのことです!
お客様がご入場の時点で、
貼り合わせた大きな丸い新聞が、舞台一面を覆っています。
それが開演とともに、
少しずつ隆起していくところから、作品が始まります!
この仕掛けとは・・・
なんと、10人の出演メンバーたちが、
新聞紙の裏に平べったく潜り込んで、
開場前からスタンバイして(15分くらいの間)、
開演の音とともに、動き出すのです!(≧∇≦)
(そもそも、360度の円形舞台だから、どこからも入場できないから
お客様のご入場前から、舞台に板付き!^^;)
そのあと、その新聞紙は、ドーム型になり、
内側からの照明で、影絵となり、
原始時代の人々の生活を演者たちが演じます!
その後、その舞台一面を覆っていた大きな新聞紙は、
なんと、空中に浮かんでいく・・・
などという、驚きの仕掛けがたくさん詰まっている、
ダイナミックな作品です!
新聞紙や〇〇のオブジェと、人間の身体の融合の中で、
原始時代から、現在社会、環境破壊、人口過多の地球を表現していく。。
今回、上映から34年の時を経ての、上映となります!!!
パントマイム公演の常識を覆す、必見の並木孝雄作品!
10名の若さあふれる演者たちが、
全身タイツ!で、ハツラツにお届けします♪o(^▽^)o
ぜひぜひ、この機会にご覧ください!!p(^▽^)q
■ 「イイですビデオ上映会vol.6
並木孝雄作品「黎明記 (れいめいき)」
1992年に45才で他界した並木孝雄氏の、
遺作となった本作は、
青山円形劇場の円形舞台を360度全て使い、
大きな新聞紙を生かした意欲作!
大都市の<過密>をモチーフに並木氏の着想と、
若いマイミスト達の動きがダイナミックに、
且つユニークに展開される。
34年の時を経て、未だ色褪せない表現を、
この機会にどうぞ、目撃ください!
◆日時:9/20(金)19:30
21(土)14:00 &19:00
※開場は上映時間20分前
◆上映作品:
「黎明記」
・会場:青山円形劇場(1990年)
・映像出演:細川紘未・長井直樹・藍木二朗・鈴木秀城・チカパン、他。
*当時の映像ですので、見え難い部分もあります。
予め、ご了承ください。
◆司会進行:
細川紘未(スーパーパントマイム伝道師♪シスターひろみ)
◆料金:一般¥2,000
中学生以下 ¥1,500
リピーター ¥1,500
(2020年1月にご覧になった方対象)
※9月21日(土)19時の回の上映後、交流会あり
どうぞ、ご参加ください♪
●会場
スタジオエヴァ (新大久保)
住所:新宿区百人町2−6−7ライズ高踏園地下1階
https://is.gd/4KE6d4
*アクセス
「新大久保駅」改札を出て、大久保通りを左に行き、
道の右側、すぐのところの薬局「マツモトキヨシ」の角を右折。
高田馬場方面に(グローブ座方向)に向かって線路に平行に直進。
一つ目の信号の手前の右側の「まいばすけっと」の入っているビルの
地下1階。
ビル左側の階段を地下1階に降り、奥突き当たりの部屋。
(エレベーターはございません。)
代表
細川紘未 Hiromi Hosokawa
(スーパーパントマイム伝道師♪シスターひろみ)